南 京 上 新 河 万 人 坑

 南京上新河万人坑
江蘇省南京市

 南京大虐殺はあまりにも有名な事件なので詳しい説明は省略するが、中国では、日本軍が南京を占領した1937年12月13日から6週間で日本帝国主義下の日本兵が無辜の中国人民30万人を虐殺したとされている。
 この大虐殺で南京城内外にあふれた遺体のうち15万体は、南京碇泊場司令部など日本軍の各部隊が区域毎に分担し、揚子江に流したり焼却したり穴に埋めたりして「処理」したと、遺体「処理」を指揮した南京第二碇泊場司令部の将校・太田寿男少佐(当時)が供述書に記録し証言している。「処理」の際、まだ息のある人も中にはいたが、「手鉤ヲ以テ頭部或ハ心臓部ヲ突刺シ絶命セシメテ運搬シタ」とも記録している。しかし、日本軍が「処理」しきれなかった膨大な数の遺体はいたるところに放置され、南京は無残な姿にさらされた。
 南京城内外のいたるところに放置された虐殺犠牲者の遺体は、その惨状を見るに見兼ねた崇善堂・南京紅卍字会・中国赤十字会南京分会・同善堂など民間慈善団体や福祉団体と市民の奉仕活動により、長い月日を費やして南京の各地で埋葬された。こうして南京市民らの手で埋葬された遺体は22万体を数えるとされている。
 南京市西部の揚子江右岸に位置する上新河は日本軍による大虐殺の現場となり、その後で南京市民らにより大量の遺体が埋葬された地区の一つである。
 南京大虐殺の研究で著名な高興祖南京大学教授の論文や南京大虐殺記念館の解説によると、当時、揚子江を通過し湖南から上新河まで木材を運んでいた湖南省の木材商人である盛世征と昌開運が、同朋の遺体が野ざらしにされているのを見過ごすことができず、自分で費用を出して人夫を雇い、上新河地区に放置されている遺体を埋葬した。盛世征と昌開運が埋葬した遺体の数は2万8730体になる。また、南京陥落後に満鉄調査部が派遣した調査員の南京班報告書には、遺体収容作業がまだまだ続く1938年3月15日の時点で3万1791体の遺体を南京紅卍字会が下関地区と上新河地区に埋葬したと記録されている。
 こうして、南京大虐殺による万人坑(人捨て場)の一つが上新河にも作られた。

 さて、それから七十数年後の現在に話は飛ぶが、上新河万人坑の近くに人民解放軍(中国軍)の施設があるので、上新河地区に立ち入ることは最近までできなかった。しかし、しばらく前に立ち入り規制が解除されたので、2015年12月に南京を訪れた際に上新河を初めて確認することができた。
 大量の犠牲者が埋葬された上新河万人坑は南京市西部の揚子江右岸にある。その川縁に、犠牲者を追悼する上新河受難同胞記念碑が建立されていて、次のような碑文が刻まれている。

上新河受難同胞記念碑・碑文
 1937年12月、日本軍が南京を占領したあと、武装解除された兵士と一般住民など上新河一帯に逃げまどう大勢の我が同胞難民合わせて2万8730人余がこの地(上新河)で日本軍によりことごとく虐殺された。
 日本軍の虐殺方法は極めて残忍で、ある者は縛られて溺死させられ、ある者は薪を積み上げて生きたまま焼かれ、銃で撃たれ刀剣で切り殺されるなど惨劇を免れたところはどこにもない。女性は大人から子どもまで全員がまず強姦され、そのあと殺害された。これ以上惨たらしいことはこの世にないほど残虐きわまりなく、死体は山のように積み重なり、血が河のように流れた。
 その後、湖南の木材商人・盛世征と昌開運の二名が、見るに忍びないこの惨状を目の当たりにし、自ら寄付金を出して大量の遺体を集め埋葬した。
 その後を引き継ぎ南京紅卍字会が、1938年1月から5月まで14回にわたり合計8459体の遺体を上新河一帯で集め埋葬した。
 その内訳は次のようである。
   1月10日 黒橋に埋葬      998体
   2月 8日 太陽宮に埋葬     457体
   2月 9日 二道埂に埋葬     850体
   2月 9日 江東橋に埋葬    1850体
   2月 9日 棉花堤に埋葬    1860体
   2月14日 軍人監獄付近に埋葬  328体
   2月15日 観音庵空地に埋葬    81体
   2月16日 鳳凰街空地に埋葬   244体
   2月18日 北河口空地に埋葬   380体
   2月21日 五福村に埋葬     217体
   3月15日 甘露寺空地に埋葬    83体
   3月23日 甘露寺空地に埋葬   354体
   4月16日 賈家桑園空地に埋葬  700体
   5月20日 黒橋に埋葬       57体
 過去の経験を忘れないで将来の戒めとしよう。その言葉に基づいて、この記念碑が特別に建てられた。死者を慰め、後世の人々の励ましにもなる。我が中華民族を愛し、祖国を強くさせよう。侵略に反対し平和を守ろう。
 
写真:2015年12月14日撮影 

 上新河から見る揚子江(長江)
 上新河は、南京市西部の揚子江右岸に位置する。写真の左側が揚子江右岸で、上新河地区になる。揚子江の対岸のように見えるのは中州で、対岸(左岸)はここからは見えない。

 上新河から見る揚子江の中州と夕陽
 時刻は午後4時半ころ。曇天に夕陽がかすんでいる。南京大虐殺当時、揚子江のこの長大な川面が犠牲者の遺体で覆い尽くされたという。

 上新河にある新しい記念碑
 上新河受難同胞記念碑の近くにある公園の中に設置された新しい記念碑。「全国重点文物保護単位/侵華日軍南京大虐殺犠牲者同胞合葬地(上新河)/中華人民共和国国務院/二〇〇六年五月公布/南京市人民政府立」と刻まれている。

 上新河の受難同胞記念碑
 「侵華日軍南京大虐殺上新河地区/受難同胞記念碑/南京市人民政府/一九八五年八月」と刻まれている。前日(2015年12月13日)の南京大虐殺犠牲者国家追悼日に供えられた花輪が強風にあおられ倒れていた。

 上新河の受難同胞記念碑
 前日(2015年12月13日)に供えられた花輪を立て直したところ。南京大虐殺犠牲者国家追悼日の昨日は南京のいたるところで犠牲者追悼式が行なわれたのだろう。上新河のこの受難同胞記念碑にも大勢の人が集い、花を供え犠牲者を悼んだことが分かる。

 上新河受難同胞記念碑裏面の碑文(部分)
 上新河一帯で2万8730人余が日本軍に虐殺されたと刻まれている。一方、南京大虐殺の研究で著名な高興祖教授は、湖南の木材商人・盛世征と昌開運が事件後に埋葬した犠牲者数が2万8730人であるとしている。

 犠牲者追悼式
 揚子江の河岸に建立された上新河受難同胞記念碑の前で黙祷し犠牲者を追悼する。
 南京大虐殺を否定する無知な人物や恥知らずを首相や閣僚や大学教授にして恥じない日本の今の情況が恥ずかしい。加害国の日本の政府や「指導者」が侵略加害の事実を否定するなどは許されるはずがない。

 上新河から見る揚子江の夕暮れ
 上新河の受難同胞記念碑の前で犠牲者追悼式を勤めたあと、夕暮れがせまる揚子江をながめる。
 78年前、三方から南京に迫る日本軍から逃れるため長江(揚子江)沿岸に南京市民らは殺到した。しかし、長江を渡る船は無く、長大な流れに行く手をさえぎられ大混乱に陥る中で南京市民らは日本軍によりことごとく虐殺された。







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